2007年4月アーカイブ
昭和49年11月、セリ第一声を上げた下関南風泊(はえどまり)市場。遠洋フグ延縄漁が活況を呈し、増えてきたフグの水揚げを下関へ集めようと誕生した魚市場だ。その背景にはトラフグ漁獲量が増えて、下関以外へ漁船水揚げが分散していたのがあった。フグの下関の屋台骨・フグ卸の下関唐戸魚市場株式会社にとって、南風泊市場進出は本場のプライドと社運を賭けた一大事業だった。
連日、地元フク業界の古い話しを聞き回っている。戦前、戦後のフクの下関の有様を伝え残こそうという思いだ。
そんな話しのあちこちで、フクの本場・下関の背景に、山口・粭島、大分・姫島、愛媛・三崎というトラフク内海物の三大漁場が存在感を示している。そして、フクの全てを知る先達は、昭和40年代までのそのトラフクを「今とは違う。幻のフク、味」と言い切るのだ。
1888(明治21)年、明治維新の志士で山口県出身、時の総理大臣・伊藤博文公が「下関のふくには毒を見ず」と全国に先駆け、下関においてフク食を解禁しました。以来、下関は毒魚フグを安全に調理提供する技と味の本場として名声を馳せ、フクは下関の代名詞として確固たる地位を築いています。
