協同組合下関ふく連盟協同組合下関ふく連盟
明治21年、時の総理大臣・伊藤博文公のひと声で、ふく食先駆けの地となった下関 ふくの本場・協同組合下関ふく連盟の公式ページ

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「下関ふく」が全国ブランドとなった各種背景について


A,地理的背景
 1、古来より下関は日本海、東シナ海、瀬戸内海を結ぶ交通路の要衝であり、特に江戸期、北前船の西回り航路開発に
   より重要な寄港地となったことでますますその重要性を増して行きました。
 2、さらに、明治期以降大陸への中継地として人と物が集まる経済都市としても栄えました。
 3、古くより豊かな漁場に近く、漁業基地として発展しており、さらに明治期以降遠洋漁業やノルウェー式捕鯨の一大
   拠点となりました。
 4、瀬戸内海、豊後水道、玄界灘がふぐの好漁場であり、そこでとれたふぐの集積地となっていました。
 5、とらふぐの産卵地である玄界灘沖や瀬戸内海西部に近い位置にありました。

B,文化的背景
 1、ふぐはその骨が縄文時代の貝塚から出土しており、すでにこの時代から食べられていたと推察されています。
 2、下関でも安岡の貝塚から約2千年~2千5百年前のものと思われるふぐの骨が出土しています。
 3、かようにふぐは古来より食されてきたと考えられますが、一方でその猛毒ゆえに多くの犠牲者を出し、豊臣秀吉が
   ふぐ食禁止令を発して以来明治期までその状態は続きました。
 4、伊藤博文公の働きかけにより、1888年(明治21年)山口県では全国で初めてふぐ食が解禁され、下関はその
   史実の表舞台となりました。
 5、大正から昭和初期にかけて、下関は大陸への玄関口として大いに繁栄し、各地のふぐが集まり、ふぐ食文化が一層
   盛んになっていきました。
 6、これにより、多くのふぐ料理人が下関に集まるようになり、ふぐ処理技術が発達し、ふぐ料理専門店も増加しまし
   た。
 7、下関のふぐ食文化は市民の間にかなり前から存在していたと思われます。そして猛毒魚を食するこの特異な食文化
   に大正・昭和初期の著名人達が興味・関心を持つようになりました。
 8、大正・昭和初期の著名人(政界、財界、官、作家)が大陸の行き帰り、下関に立ち寄り宿泊し、ふぐ料理を楽しみ
   ました。その後彼らが東京に帰ってから下関でのふぐ食体験を盛んに発表し、このことが結果として大きなデモン
   ストレーション効果を担い、下関ふぐを全国に知らしめる一歩となり、その後のふぐ食文化の隆盛に結びつくよう
   になりました。
 9、一方、ふぐ食文化隆盛の下関からは、そこで腕を磨いた職人達が東京・大阪に移り、彼の地の店舗で高度な技を披
   露しました。これにより、「ふぐは下関」の名声が広まりました。また、これら職人達・店舗と下関のふぐ業界と
   の間に、物的・人的に太いパイプが出来上がりました。

C,流通面での背景
 1、ふぐの加工に必須である「みがき」の加工場が下関付近に集積していました。
 2、これら加工場が持つ高度の加工技術により、他県ではマネのできない「みがきふぐ」の生産が可能でした。
 3、陸上輸送手段が未発達の時代、瀬戸内海西部、豊後水道等でとれたふぐは、漁船の水槽に入れて下関に運ばれまし
   たが、この運搬時間がふぐの肉質向上に大きな役割を果たしていました。
 4、また、加工場で処理されたみがきふぐは大阪、東京などの大消費地に送られましたが、この輸送時間が結果的にふ
   ぐを熟成させる効果を併せ持っていました。
 5、それまでは唐戸市場で一手に取り扱っていましたが、昭和40年「李承晩ライン」の撤廃により漁場が拡大したこ
   とで漁獲量が増加し、市場が手狭になったこと、潮流が速く、国際航路でもある関門海峡に面していたため船舶の
   出入りに支障をきたしていたこと、等により昭和49年外海に面し広い土地を有する南風泊に移設しました。これ
   により、従来に比べ大量のふぐの取扱いが可能となったのです。
 6、トラック輸送が発達し、ふぐも養殖物が増加していきましたが、南風泊市場には多数の活し込み用の活水槽が設置
   され、ここで行われる「活し込み」によって、市場への安定供給とふぐ肉質の向上が可能となりました。
 7、また、隣接する南風泊水産加工団地には、ふぐ加工の専門業者、加工したふぐの二次加工や保管設備(冷凍庫・冷
   蔵庫)、包材、輸送等の関連企業も集まっており、水揚、仕入、加工、流通販売のためのインフラも整備されてい
   ました。
 8、仲卸間の水平的競争関係が強力に機能しており、お互いの切磋琢磨により、適正な価格形成、豊富な品ぞろえに貢
   献し、下関ふぐ市場としての発展に大きく寄与しています。
 9、さらに生産者、卸、仲卸との間に「情報の共有」という面において垂直的な協力関係も構築されており、コミュニ
   ケーションを密にして信頼関係を築き上げ、市場における需要側と供給側のバランスを取っているのです。
10、卸、仲卸の関係に加えて、関係する業界団体(小売店、調理師、ふぐ料理を提供する旅館ホテル、料理屋)すべて
   の間で連携・協力関係を結び、 業界全体を発展させてきました。
11、下関市としてもふぐに関する各種イベントや広告宣伝活動に注力し、業界と協力して「下関ふぐ」のブランド力強
   化のための施策を強力に推し進めてきたのです。

                                           以上
                                           協同組合下関ふく連盟


参考文献・資料
    1、下関フグのブランド経済学Ⅰ 濱田英嗣 筑波書房
    2、ふぐの文化  青木義雄  成山堂書店
    3、魚市場 春夏秋冬 下関唐戸魚市場(株)・下関唐戸魚市場仲卸人組合
    4、下関唐戸魚市場創立六十周年記念写真集  瞬報社
    5、大阪「食」文化専門誌 浮瀬
    6、ふぐ 第十一版  社団法人山口県食品衛生協会
    7、ふぐ 三重県健康福祉部薬務食品室監修
    8、おもしろ山口学 山口県広報連絡協議会編集
    9、Wikipedia  下関とふく
   10、ふく有情 富田義弘  瞬報社  




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